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ファイト新聞を舞台化 2013.9.7

 創刊の思いを再現
  山梨県北杜市の中学生

P1070659.JPG 「ファイト新聞」を題材に山梨県北杜市の中学1年生が創作した演劇が9月7日、北杜市立須玉中学校でお披露目されました。東日本大震災から2年半、「被災者を励ましたファイト新聞の素晴らしさを伝えていきたい」という志の下、宮城県気仙沼市の気仙沼小学校に避難していた小中学生がファイト新聞を創刊し、50号まで手作りした思いを見事に再現しました。
 携わった生徒は須玉中学1年生の45人。インターネットなどで経緯や避難所での活動を取材し、台本作りと稽古を進め、ファイト新聞編集部員の役をはじめ、ナレーター、衣装、照明などを全員で担当しました。
 舞台では、大震災後のニュース映像を映した後、津波で家を流された被災者が気仙沼市の小学校の体育館に続々と避難する様子が繰り広げられた。「みんなを明るくしたい」という呼び掛けでファイト新聞が創刊され、被災者が元気を取り戻していく過程を描き出し、会場の生徒や保護者らから拍手が湧き起こりました。
P1070682.JPG 代表者の一人、 日向捺菜さんは「劇にすることで編集部メンバーの気持ちをより理解できた。『私たちも元気をもらいました』と伝えたい」と話していました。
 ファイト新聞の吉田理紗編集長は「(劇になって)恥ずかしい気もするけれど、うれしい」と喜んでいるとのこと。

山梨日日新聞の記事

美術館で野帳塾を 2013.4.8

アートワークショップとともに
 より伝わるファイト新聞へ

P1080128.JPG 気仙沼出身の民俗学者、川島秀一・東北大学教授によるファイト新聞編集部員のための私塾「野帳塾」が、気仙沼のリアス・アーク美術館の協力で民俗学と美術教育を取り入れた子ども復興新聞として活動を本格化させます。
 ファイト新聞展最終日(2013年4月7日)、会場となったリアス・アーク美術館でファイト新聞編集部員9人が新聞制作するに当たり、同館学芸員の山内宏泰さんの美術指導を受けました。子どもたちの自立心を育てる表現教育の匠である山内さんの教えは
 「言いたいことをどうしたら読み手によりよく伝える表現になるのか」

 そして、表現する力の素でもある文字の形、色使い、立体表現などの多彩な表現の技法を指南されたファイト新聞編集部は「より伝わる新聞」についてメンバー同士で話し合い、手分けして制作し、スタイリッシュで編集部員の活気がそのまま新聞になったような二つの版が完成しました。

 野帳塾の次回は、広く子ども編集部員を募集します。
 詳細は後日、発表します。 

ファイト新聞@リアス130407その1(高).jpgファイト新聞@リアス130407その2(高).jpg

ファイト新聞展 2013.4.7

初の全新聞展示を開催
 地元リアス・アーク美術館

ファイト新聞展@リアス130405(高).jpgP1050301.JPG「ファイト新聞展」入口に掲示された寄せ書き 2011年3月18日に気仙沼市立小学校の避難所で創刊されたファイト新聞は同年夏以降、震災・復興記憶遺産として後生に伝えるための保管場所が求められていましたが、1年余りの各種機関との交渉の末、気仙沼のリアス・アーク美術館に寄託されることになりました。
 その記念の展示会が2013年4月5日から7日までの3日間、同美術館のギャラリーで開かれたのです。

P1050305.JPGファイト新聞創刊号 ファイト新聞の原本は劣化防止のため飾ることができず、代わりにセイコーエプソンがCSRで作ってくださった精巧な復元複製(レプリカ)の創刊号から最終号の50号までのすべてが初披露されました。
 このほか、地元出身の民俗学者で東北大教授の川島秀一さんがファイト新聞の編集部の子どもたちと取り組む復興企画「野帳塾」の活動をはじめ、12年4月に編集部代表の子どもたちがパリのユネスコ本部で顕彰されたことなどが紹介され、来場者の関心を集めていました。

 編集部員による来場者への説明が好評。最終日にはファイト新聞のオリジナルメンバー10人が集結し、リアス・アーク美術館学芸員の山内宏泰さんのアートディレクションで二つの〝新生〟ファイト新聞を制作。おしゃれでかわいい、それでいてファイト新聞のエスプリがある版ができました。

P1050359.JPGみんなで記念撮影 これからファイト新聞は、野帳塾とリアス・アーク美術館の協力を受けながら、子ども復興新聞としての活動を続けます。そして、参加者と賛同者の輪を広げながら、復興の思いを東北に、日本に、世界に伝えてきます。

創刊2周年の新聞と展示 2013.2.2

ファイト新聞が2周年
 4月、美術館で展示会開催

521773_334897756610816_1852402672_n.jpgファイト新聞創刊2周年の決意号? ファイト新聞の創刊2周年もまぢか。
 編集部の子どもたち11人が集結して、今年の復興の決意をそれぞれつづった創刊2周年号をわいわいがやがや、制作しました。
 保護者も集まり、教科書の出版社からの掲載申請などについて協議。編集会議と保護者会の終了後は謝恩会のような盛り上がりを見せました。

P1080128.JPGファイト新聞が保管されることになるリアス・アーク美術館=宮城県気仙沼市 同時に4月5日(金)から7日(日)までの3日間、気仙沼のリアス・アーク美術館でファイト新聞の復元複製(レプリカ)を初めて全部を供覧に付す展示会を開きます。東日本大震災で被災したリアス・アーク美術館のリニューアルオープンに合わせての企画です。

 同館には近く、ファイト新聞の原本とレプリカが寄託されます。

国際大会で展示 2012.10.26

世界の美術関係者に紹介
 レズ・アルティス東京大会

UNUファイト新聞展示m1026.jpg アートの拠点として活動する世界各地の美術館の関係者らが集まる「レズ・アルティス総会」が10月26日から3間、東京・青山の国連大学で開かれ、ファイト新聞のコピーと、活動紹介の日英記事(英文=米須菊代さん)と写真(撮影=松田典子・ファイト新聞社理事)が会場に展示されました。

UNUファイト新聞紹介m1026.jpg 総会には37国から約250が参加。国内外の作家を一つの地域に招き作品を制作してもらう「アーティスト・イン・レジデンス」の在り方などをめぐり意見交換されましたが、来日した参加者が注目していた一つが、被災地におけるアートプロジェクト。
 ファイト新聞1~20号の展示は、そうした関心に応える企画となりました。

「野帳塾」スタート 2012.8.26

被災した漁撈の長老に取材
 民俗学の復興支援

 気仙沼出身の民俗学者、川島秀一さん(神奈川大学日本常民文化研究所)が子ども復興新聞を作るファイト新聞編集部員のために私塾を始動させました。
 その名は「野帳(やちょう)塾」。
 民俗学や文化人類学が研究のイロハとする実地調査の記録「フィールドノート」の超直訳で、川島塾長の命名によるものです。

P1080135.JPG さっそく、実地調査(フィールドワーク)の第1回が8月26日午後、気仙沼市唐桑で実施されました。漁業歴65年の川村亀佐雄さんの自宅で川島塾長をはじめ、ファイト新聞編集部員3人(吉田理紗、小山里子、櫻井果歩)が2011年3月11日の津波のことや、気仙沼の漁業文化についてじっくりお話を聞きました。

 ファイト新聞編集部員は期待と多少の戸惑いを抱きながら、現代を代表する民俗学者から取材の仕方、話の聞き方、地域文化のとらえ方などを直接学ぶ初めての貴重な機会になりました。
 その成果は近々、編集部員が手作りするファイト新聞としてまとめられますので、こうご期待です。(ファイト新聞の公式ホームページに掲載予定)

 野帳塾は今後、ほぼ毎月1回のペースで開催されます。

ファイト新聞編集会議 2012.7.8

最近はまっていること
 テーマに従って新聞作成

 ファイト新聞の子どもたちが2012年7月8日、宮城県気仙沼市の仮設住宅集会場で編集会議を開き、新聞を手作りしました。できあがった同日号の新聞は、フランスのジャンヌダルク学園にもレプリカが送られ、子ども新聞の国際交流をスタートさせます。

 月例の編集会議第1回となった今回から、ファイト新聞編集部は毎回テーマを設けて編集、制作することになりました。吉田理紗編集長が編集部員に提案した第1回のお題は、
 「私が最近はまっていること」。
 わがファイト新聞編集部のジュニアジャーナリストの視点で拾い上げた、何気ない復興の風景や思いが特集されています。

P1060690.JPGP1060689.JPGP1060705.JPG

 月例編集会議の第2回は8月下旬に開催です。

ロータリークラブ贈呈式 2012.4.5

「日本人として誇らしい」
 支援金贈呈式で司葉子さん

 ファイト新聞の子どもたちをユネスコ本部(パリ)が顕彰したのを受け、女優の司葉子さんが所属する東京恵比寿ロータリークラブ(国際ロータリー第2750地区)が支援金を決定し、贈呈式が東京・汐留のパークホテル東京で行われました。

P1050422.JPG東京恵比寿ロータリークラブからファイト新聞への支援金贈呈式=東京・汐留のパークホテル東京 ユネスコ本部での顕彰に臨んだ初代編集長の小学3年吉田理紗さんと第2代編集長の小学5年小山里子さんに支援金の目録が手渡された。らが「ジュニアジャーナリスト」としてたたえられた経緯を説明し「これからも復興のことを新聞にしていきます。応援、ありがとうございます」と話した。
 「被災した人たちを励まそうと新聞を作ったその思いがすばらしい。日本人として誇りに思います」と司さん。同会長の伊藤千恵さんから吉田さん、小山さんらに支援金の目録が手渡され、「これからも応援しますよ」とエールを送られました。
 支援金は吉田さんらのパリ渡航費などに充てられます。

東京恵比寿ロータリークラブの関連ページはこちら

日仏子どもが新聞交流 2012.4.3

新聞を通じて国際交流
 3カ月ごとに新作交換へ

fight0302.jpgファイト新聞の特別編集「学校パリの号」 【パリ共同】東日本大震災後、宮城県気仙沼市で壁新聞「ファイト新聞」を手作りし、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に顕彰された小中学生が3日、パリ郊外のジャンヌダルク学園を訪問し、交流会に参加した。初代編集長の小学3年吉田理紗(よしだ・りさ)さん(8)ら編集部員4人は学園の児童と新聞を交換し「新聞を通して交流をしていきたいです」と呼び掛けた。
 吉田さんと第2代編集長の小学5年小山里子(おやま・さとこ)さん(10)、小山さんの姉で中学2年奏子(かなこ)さんらは津波で自宅を流された後、身を寄せた避難所で被災者を励ますために「ファイト新聞」を創刊した経緯を説明。同学園の児童に手渡した特別編集の「学校パリの号」には日の丸とフランス国旗を描き「今、ふつうに生活できているのも支援してくださっている方々のおかげです」などと記した。
 交流会は日本大使館の企画で実現。地元の子どもたちからは「日本では正座してご飯をたべるのか」などの素朴な質問が相次ぎ、アニメや漫画の話題で盛り上がった。
 今後は3カ月に1回、近況を報告する新聞交流を行う。吉田さんは「これからもみんなを明るくする新聞づくりを頑張ります」と笑顔で話した。(共同通信)

中日新聞2012年4月8日

共同通信の英文記事はこちら

パリのユネスコで顕彰 2012.4.2

「皆さんは未来への光」
 ジュニアジャーナリス称え

P1050299.JPG 東日本大震災後、宮城県気仙沼市で壁新聞「ファイト新聞」を手作りした創刊メンバーの子どもたちが2021年4月22日午前10時、パリのユネスコ本部に招かれ、フランチェスコ・バンダリン文化局長から「皆さんは未来への光。その勇気を称えます」として顕彰されました。初代編集長の小学3年吉田理紗さんほか3人は被災地への国際支援に感謝の気持ちと復興への思いを伝えました。

 ユネスコ本部を訪れたのは吉田さんと第2代編集長の小学5年小山里子さんをはじめ、里子さんの姉で中学2年奏子さん、吉田さんの妹の4歳、吉田麻尋ちゃん。
 理紗さんは「今まで私たちを助けてくれた方々にありがとうと言いたいです」、里子さんは「たくさんの人たちにファイト新聞を読んでもらってとてもうれしいです」と表明。奏子さんは「これから復興へ向けてがんばりたいと思いますので、ご支援をお願いします」と話すなど、それぞれ立派にメッセージ、思いを伝えました。

 子どもたちからファイト新聞の複製と、宮城県の間伐材製の記者章を贈られたバンダリン局長は「被災者を今も世界中の人々が心配しています。今後も皆さんを応援します」とエールを送り、、「ジュニアジャーナリスト」として新聞刊行の偉業をねぎらいました。

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記者会見&壮行会 2012.3.30

「行ってきます」と敬礼
 激励料理「おーいしーい」

P1050121.JPG記者会見に臨んだファイト新聞編集部 ユネスコのパリ本部で顕彰が決まった「ファイト新聞」編集部員は3月30日午後、東京・虎ノ門のリセットカフェで記者会見を行い、吉田理紗・初代編集長は「ドキドキしています」、第2代編集長・小山里子は「とてもうれしい」、2人をよく支える編集部員の小山奏子は「これをきっかけにより多くの人に読んでもらいたい」とそれぞれ緊張した面持ちで晴れ舞台に臨む意気込みを語りました。
 顕彰には編集部を代表して吉田編集長はじめこの創刊メンバー3人と、現メンバーで最年少の吉田麻尋が出席します。
 また「ファイト新聞」の〝制服〟が会場でも評判になりましたが、これを手作りしたのは復興博メンバーでデザイナーの針生拓郎さんでした。
 今回の顕彰は、ユネスコ平和芸術家で音楽家の城之内ミサさんのコーディネートがあり、実現しました。
 渡航費・滞在費は東京恵比寿ロータリークラブ(国際ロータリー第2750地区)の補助を受け、実現の運びとなりました。そのきっかけをつくってくださったのが女優の司葉子さんです。
 また、味の素からも協賛をいただきました。会見場のリセットカフェは、虎ノ門マネジメントが無料で提供してくださいました。
 こうした数々の励ましがあったからこそ、子どもたちは被災者を代表して胸を張ってパリに行くことができます。帰国後、いい報告ができるよう皆がんばってきます!

P1050150.JPG「こんな温かい壮行会を設けてくださり、ありがとうございました」と挨拶する吉田博文・ファイト新聞社副代表。隣は小山武代表=東京・汐留のパークホテル東京 パリに向かう直前、東京・汐留のパークホテル東京で気仙沼出身の方々が集まり、壮行会が開かれました。ビュッフェ式のこのパーティー、実はパークホテル東京のスタッフの方々がわざわざ休み返上で対応してくださり、しかもホテル側の計らいで完全無料。親密でアットホームな雰囲気の中、最高のもてなしを受けた子どもたちは十分に英気、元気を養うことができました。
 それにしても、子どもたちが本当にうれしそうに連発していたのが「おーいしーい!」。

 午後9時20分、パークホテル東京を連発していた子どもたちは、パークホテル東京の皆さんはじめ、ユネスコ顕彰を共催で支えるNPO復興博の方々に見送られ、バスで羽田空港国際ターミナルへ。
 ターミナルでは、航空券とパリのホテル宿泊で大幅なディスカウントをしてくださり、渡仏への弾みをつけてくださったJALPAKの柏倉恵造さんがチェックイン手続きなどのため見送りにいらしてくださいました。
 手荷物検査のゲートで「いってらっしゃい」と手を振る柏倉さんに、子どもたちも手を振って「行ってきまーす」。25時40分発、JL041便で機上の人に。

ジャパンタイムス掲載の共同通信の英文記事はこちら

ユネスコ顕彰へ 2012.3.20

パリの本部を訪問
 国際支援への感謝伝えたい

fhp003.JPGユネスコ本部=パリ ファイト新聞への称賛の声が高まる中、2012年4月2日(月)に国連教育科学文化機関(ユネスコ)のパリ本部に子どもたちが訪ね、顕彰されることになりました。併せて、被災地への国際支援に対して被災者を代表して感謝の気持ちを伝え、復興の思いを届けます。
 顕彰はユネスコ平和芸術家・音楽家の城之内ミサ氏(ユネスコ世界遺産トーチランコンサート主宰)のコーディネートにより行われます。
 ユネスコ文化局長フランチェスコ・バンダリン氏(前世界遺産センター長)がユネスコを代表して子どもたちを迎えます。代わりに吉田理紗さん、小山里子さん、小山奏子さん、吉田麻尋ちゃんの4人がファイト新聞のレプリカを手渡し、手づくり新聞を通じて被災者を励まし続けた子どもたちを称え、世界に向けて紹介します。

【日程】
3月30日  メディア、関係者交流会
   31日  羽田発、同日パリ着
4月 2日  ユネスコ本部(パリ)で顕彰
   3日  ジャンヌダルク学園(パリ郊外)で新聞交流会 ※外務省・日本大使館企画
   4日  パリ発
   5日  羽田着

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復活!ファイト新聞 2021.3.8


子ども復興新聞を再制作
 創刊1周年に当たり

fightrepublish01.jpg 休刊していたファイト新聞が創刊1周年の2012年3月18日、子ども復興新聞として宮城県気仙沼市の仮設住宅施設で本格復刊しました。
 吉田理紗さん、小山里子さん、小山奏子さん、西村祐美さんのスターティングメンバー4人をはじめファイト新聞制作に携わってきた編集部員と新規メンバーの計7人が集合し、ジュニアジャーナリストとして新聞復刊の編集会議と制作を行いました。

fightrepub03.jpg佐藤昭先生(一般社団法人ファイト新聞社監事)も挨拶 ファイト新聞の原本は気仙沼市のリアス・アーク美術館で今春から厳重保管される予定です。また、学校などで教材として活用していただく一方、「ファイト新聞を見てみたい」との多くの方々のご要望にお応えするため、精巧なレプリカを貸し出すための準備を進めています。

 今後、ファイト新聞関連の著作物の管理および新聞制作・発行などにつきましては、一般社団法人 ファイト新聞社(本部・気仙沼、代表・小山武)が責任をもって執り行うことになりました。

原本保管と複製制作・公開のために

みんなを元気にしたい
 小学生女子で新聞づくり

fightnewspic03.jpg避難所に掲示されたファイト新聞DSC_0046.JPG 東日本大震災で、宮城県気仙沼でも地震に大津波で大きな被害を受けました。そんな中、気仙沼の避難所で希望の光がともされました。大震災1週間後の2011年3月18日、「大人たちを元気にしたい」と願う子供たちが手作りした「ファイト新聞」が創刊されました。
 連日、大地震や津波の映像が繰り返しテレビで流される中で、子供たちが避難所で楽しそうに新聞を作っている様子がさまざまなメディアで紹介され、多くの日本人が心温まるニュースに心がなぐさめられました。

ファイト新聞4.jpg「東北復興博@東京」はファイト新聞の東京初展示の場になった(イメージ) 2011年7月、汐留で開催した「東北復興博@東京 for 2021」では、ファイト新聞の意義をたくさんの方々に知っていただこうと、1号から8号までを写真で紹介したところ、大きな反響を呼びました。そして、ユネスコ本部の方たちがパリの本部にレプリカを掲示し、世界に向けて子供たちの偉業を顕彰しましょう、ということになりました。
 記念すべき「ファイト新聞」の第1号はこちらです。第5号には震災後、初めてお風呂に入ったと書いてあります。
 編集長の吉田理沙ちゃんは当時小学1年生、副編集長の小山里子ちゃんは同じく小学3年生で、平社員として2人を支えた里子ちゃんのお姉さんの小山かなこさん、西村ゆうみさんは小学6年生でした。
最終の50号までの編集には約12人の子供たちが携わったそうです。

 復興博の活動の一つでもある「『ファイト新聞』A₂O!プロジェクト」は、文字や絵が消えかかるなど本体の劣化が急速に進行しているこの貴重な新聞の現物を厳重保管することが喫緊の課題と考えました。子供たちのご両親の意向を受け、全50号を市のリアス・アーク美術館に寄託し、保管を依頼しました。

P1040442.JPGファイト新聞の原本(上)とレプリカ(下)=長野県のセイコーエプソン本社 同時に、「ファイト新聞」への社会的関心が高まることが予想される中で、子供たちのことを、ファイト新聞の価値をより多くの人々に知っていただくため、きちんとしたレプリカ制作が不可欠と考えました。幸いなことに、セイコーエプソン株式会社の社会貢献で、世界最高峰の復元技術と情熱をもって、原本に忠実な見事なレプリカを制作していただきました。

 レプリカは、ファイト新聞の〝故郷〟である気仙沼で常設展示し、全国巡回展なども行うことで準備を進めています。学校や子ども病院、お年寄りの施設などで活用していただき、多くの方々にとって新聞コミュニケーションが身近になり、「ファイトの気持ち」を共有していただくような企画も実施したいと考えております。

P1040506.JPGセイコーエプソンの皆さんと復興博メンバーで記念撮影 これからも1人でも多くの方々に「ファイト新聞」を読んでいただき、新聞コミュニケーションのすばらしい力を実感していただければと願っています。
(文と写真・松田典子=企画統括)

ファイト新聞とは

気仙沼小学校避難所の奇跡
 子供たち手作り「ファイト新聞」

DSC_00613112.jpg避難所のファイト新聞の編集部 東日本大震災後、宮城県気仙沼市の気仙沼小学校に設けられた避難所で、小学生の呼び掛けで壁新聞「ファイト新聞」が創刊されました。
 初代編集長の小学1年、吉田理紗さんが掲げた編集方針は「寂しい避難所を、少しでも明るくしたい」。第2代編集長の小学3年、小山里子さんの手を経て最終号となった50号までが、避難所となっている気仙沼小学校体育館に掲示されていて、読む人の心を和ませました。

fightpic1.jpg ファイト新聞は、被災地の絶望の中に生まれた一つの希望であり、被災地の人々を、そして日本、世界の人々の心を結ぶまれに見るとびっきりのデザインなのだと思うのです。
(写真・松田典子)